「そばめし」を紹介するのにこの話を無視できなくなった。         

1999年。「マルハ日露」の営業マンが、昔、家族とよく食べていた味を商品化したい

という企画は、多くの反対意見を押し切って商品化された。長田出身の彼には「ソ

ウル・フーズ」だった「そばめし」は…えっ?、いやいや、韓国料理とちゃいまっせ。

スピリッツ。"魂"。そう、精神の食べ物だった。                

 当初発売は、震災から復興しつつあったそばめしのルーツ神戸市長田を含む関西

エリア限定だった。1960年代の長田地区。靴製造(ケミカル・シューズ)工場で働く

人達が常連で昼飯を食べに行くお好み焼き屋さんで、弁当のごはんを取り出し、焼

そばと一緒に焼いてもらったのが初めとされている。私の同業者で長田在住のカメ

ラマンも、幼少の頃、白ご飯を持ってお好み焼き屋さんに走ったと語っていた。 

一般の家庭で食べられていたわけではなく、商売人の家庭では昼ご飯代わりにお好

み焼きなんてのも普通だった。私は灘区だが、お袋が忙しいので百円もらって近所

のお好み焼き屋でよくお昼を済ませた。豚焼き(豚肉のお好み焼き)で60円位だっ

たと思う。確か、ぶた玉と言う呼び方はしなかったと思う。それに焼きそばではな

く、そば焼きと呼んでいた。これは神戸独特の呼び名だと思う。        

「そばめし」は震災復興の後押しもあって、懐かしさから口コミでも広まり、遂に

マスコミに取上げられ全国販売になった。                  

 灘区でもずっと後に一部のお好み焼き屋さんで作ってくれる店もあったが、長田

同様に裏メニューだった。                         

 私は基本的に好きだけど、炭水化物を敵視する方には全否定される食べ物だ。 


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