

Smoking boogie
取材中に出会った人々や事柄、疑問に思ったこと。そして食べ物。興味本位に綴
昔パリにいた頃、金もないのにヘビースモーカーだった。しかも並ではなかった。
ろうとスタートしたページです。
今回は、煙草にまつわるお話を…。
日本にいる時はロングピースを吸っていたが、パリに出掛ける時はショートピース
を持って行くことにしていた。パリへ出掛ける時に一番悩んだのは、実は航空会社で
も北か南かのルートでもなく、煙草は何を持って行くかで、悩んで悩んだすえに、答
えはいつもショートピースになった。
日本にいる時、仕事がない日には、朝起きると同時にスパスパスパスパ。寝る寸前
までかるく5箱はロンピーを吸っていた。今みたいにニコチンやタールがコントロー
ルされていないタバコだったけど、軽い煙草にすると120本に限りなく近くなるので
ロンピーにして本数を減らしていた。ショートピースにすればもう少し減っただろう
が、それで本数が増えてしまうとその先が不安になるのでロンピーに止めておいたが
ショートピース100本はさすがに辛い。で、パリに出掛ける時はショートピースを免
税で200本持って行って出来るだけ後に残し、キャメルの両切りかラッキーストライ
クの両切りを吸う事にしていた。ところがある日、日本の煙草が癖のないバージニア
ブレンドで、外国の煙草とは比べようのない旨いものだと思い知らされる。で、大切
に温存していたショートピースを1日に5本程吸うことにしていた。それでも滞在資
金が少なくなるとアメリカ煙草は勿体なくて買う気がしなくなり、そこでフランス煙
草を吸い始める事になる。本当は何吸っても同じなんだけどフランス煙草は最初まず
くてたまらなかった。私は、勿論それが違法な事と知りつつ15の時から煙草を吸って
いたが、未成年者が煙草を吸うことが違法なのは理解していたが、決して喫煙イコール
非行だとは思っていなかった。それでも罪の意識はあって,屋外でおおっぴらに吸う
ことはしなかった。言い訳にもならないが…。
親父が仕事先の米船でアメリカ煙草をよく貰ってきた。それを頂戴して吸っていた
からアメリカ煙草の両切りには免疫があった。ロングピースが70円か80円の時にキャ
メルは280円。私はほとんどタダで吸っていたから、パリでいざ買うとなるととんで
もなく高い。どうせ高いんだったら日本の煙草を吸いたいが、日本の煙草は売ってい
ない。正確に言うとセブンスターだけは売っていたけど、ドイツかどこかがライセン
スで製造したもので微妙に味か違った。一時買って吸ってみたけど、夜中に中坊のよ
うに吐いてしまった。で、お金があるうちはアメリカ煙草を吸って、お金がなくなる
といよいよジタンかゴロワーズを買うことになり、発酵が進んだ「黒」の煙草に慣れて
いない胃袋は、まるで十五・六のガキの胃袋のように夜中に暴れ出すことになる。
お金が更に乏しくなってくると煙草を買うお金も惜しくなり、すでにゴロワーズは
フィルトルからサン・フィルに変わり100本でも足りない状態に達していたから、もう
何ともならない。苦肉の策がパイプ用の葉っぱを紙で巻いて吸うこと。ヨーロッパで
は当り前のように煙草用の巻紙が売っていて、葉も手巻き用のものがあったが、種類
の多いパイプ用の葉を吸っていた。パイプ煙草は煙を肺に入れないものだがその煙を
バンバン吸い込んで、頭をクラクラにして自分を煙に巻いていた。
見た目にも何となく格好つくかななんて思ったりして、いつの間にか紙巻き煙草は買
わなくなっていた。そこで、ある日、見つけたのが「SO.CO.PI」だった。
オートマチカルに紙巻き煙草が出来た。日本でこんなもの持ってたら「あんさん、妙
なものに興味ありまんな。ちょっと話聞かせて貰いまひょ」なんて兵庫県警のお巡り
にいわれそうだが私はそんなものには興味はない。29フラン50サンチームだった。
30年も煙草を吸い続けた頃に、多い時には年間に二桁海外取材があった。
そうなると煙草が吸えない飛行機の中が耐えられなくなってきていた。
グアムの空港はガラス張りの喫煙席の中でないと煙草が吸えなくなり、サイパンも空
港内は吸えなくなっていった。ハワイまでは8時間もあって煙草が吸えない状態が耐
えられない環境だったし、アジアの国々にも禁煙の波が押し寄せていたし、たとえそ
の国では問題なく煙草が吸えても、行程の航空機が禁煙となってしまって我慢するの
が苦痛となっていた。その時代にヨーロッパへ出掛けることがあったなら、北回りの
モスクワ経由でも北極経由でも煙草が我慢できるわけがなく、何処かの国で「航空機
内のトイレの中で喫煙した馬鹿な日本人」なんてキャプションを付けられた写真が新
聞に載って、投獄されたりしていたかも知れない。そのくらい煙草が好きだった。
で、煙草をとるか仕事をとるか、なんてオーバーだが意を決して煙草をやめた。
2・3度、タイミングが合わなくて失敗したけど、1ヶ月もせずにやめていた。
3ヶ月目辺りが辛いけど、再び吸うこともりなく煙草と決別できた。
みんなが驚く。寝ている時以外はいつでも吸っていた。食事中も外食で誰かと一緒
なら食べ終わるまで吸うことはなかったが、一人でいる時は食事をしながら煙草を吸
っていたし風呂にも入りながら吸った。寝る前には立て続けに何本も吸わないと寝ら
れなかったし目が覚めると覚醒するまで何本も吸った。顔や頭の中がシュワシュワと
縮んでいくのを感じつつ、ショートピースを80本。身体に悪いかもと軽い煙草に変え
たら毎日100本。メンソールに変えたら120本を超えてしまったこともあった。
煙草がとにかく好きで30年間吸って、煙草を止めたものの2年後にたった一度打った
麻雀が災いして、また煙草を吸い始めてしまった。初日が40本、一週間後には4箱に
なっていた。人間50歳にもなると、新しく好きになるものは皆無に近いが、持てるも
のも少なくなるから、惜しくて捨てるものなどほとんどない。煙草なんて何も残して
くれそうもないけど、言葉に尽くしがたい喫煙感があった。これは煙草を吸わない人
には到底分からない。そんなに老い先も長くはないから朽ちるまで吸い続けてやろう
と思っていた私の脇で、我が家のどら息子ミスティーが怪しい咳をし始めていた。ミ
スティーが「ゲフォーッ」と奇妙な咳をしてゼーゼーと喉を鳴らしていた。
どうすることも出来ない。人間なら背中をさすってやるなり出来るのにどうしたらい
いのか分からなかった。で、また、煙草をやめることにした。子猫の時から家にいた
ミーシャは煙草を吸うと部屋からスッと出ていった。窓を開けて煙を出して煙草の臭
いが薄れるとミーシャは鼻をヒクヒクさせながら部屋に戻ってきた。私も気を使って
同じ部屋にいる時は外に出て吸っていたし、仕事場にしていた部屋にミスティーは降
りてこないから、もっぱら喫煙はスタジオでしていた。そんな喫煙生活をミスティー
の咳一発が止めて、それがたった1回の麻雀で無駄になってしまったのだ。
また喫煙生活が少しのあいだ続いた。ある日、指先で潰して柔らかくしたチーズや焼
き魚の身をあげると、それまで喜んでは食べてくれたのに、ミスティーは食べてくれ
なくなった。指先を見ると煙草の脂で指が黄色くなっていた。再度煙草をやめること
にした。今度は二度と吸うことはない。もしあるとしたら、余命半年だと宣告された
ら死ぬまで吸おうと思っている。その時はミスティを里子に出したい。まだ10年以上
の寿命があるはずだ。ミーシャは乳ガンでおっぱいもリンパもみんな取って、おへそも
ない卵生ネコさんになってしまってるから、宣告された私の余命を迷惑でも一緒に過
ごして貰おう。というものの、平成19年の盆を前にして我が愛しのミーシャは永眠し
しまった。享年17才。最後の1週間は寝たきりで、初めておしめをした翌日、2007年
8月11日午前10時。我が愛しのミーシャは猫生に幕を降ろした。
4.5キロあった体重も最後は1.5キロしかなかった。
私の喫煙でミーシャが迷惑を被っていたのかも…と心から反省している。
安らかに眠って欲しい。