
取材中に出会った人々や事柄、疑問に思ったこと。そして食べ物。興味本位に綴
くさや考
ろうとスタートしたページです。
今回は、出ッた〜っ!くさやで〜す。
私の両親は、父が愛媛出身で母は名古屋。くさやと縁のない土地の出身だが物心
ついた時には食卓にくさやがのぼっていた。なんのためらいも抵抗もなくこんな物
だと思って食べていたくさやが、関西では珍しい物で、どちらかといえば下手物扱
いされている代物と知ったのは、あちこちと取材で出掛けるようになってからのこ
とだった。私は好き嫌いがなくて何でもよく食べるものだから「歩くポリバケツ」と
か「鉄壁の胃袋」とか呼ばれていたし、事実何を食べてもあたることなく好き嫌いの
ないことが、一種の不幸とも気が付いていなかった。
好き嫌いがないというと羨ましいという人がいるけど、考えようによっては、好き
嫌いのないということは大好物もないということで、あれもダメ、これも食べられ
ないっていう御仁が「これだけっ!、これだけあれば、他は何もいらない!!」っていう
好物を持っていて、それを食する時は本当に上手そうに、幸せそうに食するのだ。
実はそれが羨ましくて仕方がない。
何でも美味しく頂けることは幸せだとは思うものの、何を食べても中庸の喜び。涙
がちょちょ切れる程の至極の縁までは到達しない。
そんな私だけど、くさやだけは、正直、少し嬉しかった。
どうして我が家の食卓にくさやが当然のようにあがるのか、両親が黄泉の国に旅
立ってしまった今となっては「えッ!!!そ・そうだったのかッ」と驚ける真相の究
明は望めないとして、そんな物を食卓にあげてくれたお袋に感謝している。
私の兄弟は6人いて、長女は独立していたし、2・3番目の姉たちももうティーンエ
イジだったから、臭いの強いものに抵抗を持っていたようで、避けてはいなかった
が好んで食することもなかったようだ。今考えると、お袋はなんの躊躇いもなく、
換気扇を廻しながらレンジでガンガンくさやを焼いていたが、今だったら苦情の嵐
だろう。あの香しい臭いは確実に近所に漂っていたはずだから。
で、私、弟、妹の3人は何よりも食欲が旺盛で欲望も、強く出来るだけ美味しい物
をたくさん。自分だけは食べたい!!という願望が、中枢神経から副交感神経まで支
配していた。
その中にあって、特にくさやに造詣(?)の深かった我が妹は、我が家にあった全て
のくさやを我が物にせんと画策し、自分の衣類の入った箪笥の引き出しの奥深く密
かに隠匿したのであった。此の物の香は、ポットン便所のごとく香しく……。
悲しい物語が、人生には幾つもあるのです。