column

専門学校時代

 取材中に出会った人々や事柄、疑問に思ったこと。そして食べ物。興味本位に綴るページ
としてスタートしたページ。                           
今回は講師を終えて少子化の未来も含みで専門学校のお話。             

 私が専門学校の講師を始めたのは30代半ばの頃。友人が神戸のデザイン専門学校で講師
をしていて、その学校で写真を教えないかという誘いがあったことに始まる。     
私はフリーランスで写真の仕事をしていたので、毎週決まった時間を空けることが難しい
と始めは断ったものの忙しいときは休校も認めるとのことだったので、気軽に始めること
にした。気軽にと言うと語弊があるが、写真という分野を写真関係の職業を目指すひとに
教えることは大変なことだが、デザイナーを目指す学生に、デザイン上で必要な写真の知
識を教えるのとでは大きな差があった。簡単に言えば写真がどうして写るのかとか、フィ
ルムがどう進歩して現在に至るかなどは歴史の丸暗記のように教えればよくて、後は写真
をデザインでどう利用するのかとか、写真の見方、印刷の話等が中心で、歴史や理論はあ
まり必要がなかった。難しい話は別の機会にするとして、アドビのフォトショップがどう
作られているかをデザイナーが知る必要はなく、どう使えばどう結果が出るかを知ってい
ればいいように、写真をデザインの素材として利用できる知識を持つことが優先された。
もし写真学校のように1から写真を教える必要があったら、姉妹校のビジュアル・アーツ
という写真学校に入学すればいいわけでそこまで求められていないことが気が楽だった。
しかも、元々はビジュアル・アーツの選任教師が神戸まで講義に出掛けてきていたが、先
任者はことごとく、神戸に向かう電車の中で嫌気がさし、授業をボイコットしていた。 
その為、神戸に仕事の場を持つ私に白羽の矢がたったのだろう。           
 1980年代から神戸のデザイン専門学校、大阪のビジネス専門学校と移り変わり、2005
年に少子化の為学生が激減して私の担当する講義が幕を閉じるまでの20数年の講師時代。
長かったのか、短かったのか。複雑な思いがある。神戸校から大阪のビジネス専門学校に
移った頃は、フィルムとデジタルの狭間で試行錯誤。授業でもコンピューターを使ったデ
ジタル編集とアナログ編集の二本立てが続き、初めての授業、そして将来の仕事に学生は
不安を持っていたと思う。ただどちらにしても、教える講師とカリキュラムを作る学校側
とのギャップが埋まらない状態で、講師が学生のためにと考えている授業内容はあまりに
隔たりがあったと思う。写真のことを理解しないで、コンピューター操作だけ手慣れたオ
ペレーターとして卒業していく学生は、和書開きと洋書開きの違いも分からず、色彩検定
に合格したはずの学生が三原色が理解できていないなど、アナログ時代では考えられない
知識の欠落が見えてきたが、学校は就職率重視。そんな学校には未練もなく早々に退職し
た。私は講師に向いてなかったと思うが、残念なのは学生に制作の現場をもっと見せてあ
げられなかった事だ。制作の現場を知っている講師は概ね学校の授業方針に疑問を持って
いたが、それとて大きなお世話だったのではと今となっては思う。          
 そんな学校を離れ、毎日写真に没頭していると、仕事としては辛い時期を迎えているけ
どやはり楽しい。そんな楽しさが伝わるならと私塾を開こうと思っている。      
写真撮影のイロハからデジタルデータの処理まで。物づくりの現場で体験を重視したワー
クショップを考えている。気が向いたら是非、参加してください。          

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